院長プロフィール

さわやか健康整体院からのご挨拶

私は、千葉県房総半島に位置する周囲が山や川に囲まれた田舎町、いすみ市大多喜町で
生まれ育ちました。

自然に囲まれた空気がきれいでのどかかな町で、友達と山や川で遊んだりした
小さなころの楽しい思い出は今でも鮮明に脳裏に浮かびます。

その楽しい思い出から、今でも休日になると様々な地域の緑豊かな自然を訪れ、鳥の声を
聞いたり、川のせせらぎに浸ったりと森林浴をすることが大好きです。

中学になるとサッカー部に所属しました。
とてもハードな練習で練習中に右腰を負傷してしまったことがありました。
次第に右足にも痛みや痺れまで出て、足が上がらない時期もありましたが若さも手伝って
当時は、通院すらせず自然と痛みはなくなっていきました。

高校時代は、険しい田舎の山道を学校まで10キロの道のりを自転車で通学しましたがそれが
苦ではないほど体力がありました。
日頃から家庭菜園で採れた新鮮な野菜など身体に良い食べ物に恵まれていたおかげでも
あったと思います。

大学を卒業すると公務員として働き始めました。

しかし、働き始めると学生時代まではいつも好調だったからだに異変が起きてきました。

仕事中、座ってもいられないほどの痛みを腰に感じだしたのです。

いつになっても痛みが引かないので整形外科で検査をすると・・・腰椎椎間板ヘルニアと診断がなされました。

病院に通院し、牽引や腰に電気をかけても痛みは取れるどころか更に痛みは増してきました。

プール歩行で筋力を付けるトレーニングや様々な整骨院、整体院、鍼灸院などいろいろな施術を
試しましたが一向に回復しませんでした。

このころから自分自身の身体を更に見つめ直すとともに、健康に戻りたいという意識が高まって
きました。

幼少時代の私は、身体が弱く、熱を出しては町のお医者さんに通院する機会が多くあり、そこで
診察の順番待ちをされていた高齢者の皆さんの温かい心配りにより、診察の順番を譲っていただき、
一番目に診察いただいた思い出が何回もあったこと等から、ご高齢者の方に恩返しのようなお役に立てる事が出来たらいいなと心の中で思っていました。

その気持ちが大きくなり周りからは安定した職業と言われた公務員を後にし、福祉施設へと転職
しました。

この時はまだ公務員時代に痛めた、椎間板ヘルニアによる腰の痛みは続いていたので自分の健康を
取り戻したいと模索していくなかある施術院にたどり着き腰の痛みは回復しました。

極端な刺激を与えずとも人の身体は恒常性(ホメオスタシス)を持ち、柔らかな微刺激で良い方向に
変わってくれること、また健康面には身体的な健康はもちろん、人の心の状態まで関わってくること
も知りました。

なかなか良くならなかった慢性的な痛みが回復したことは私にとって衝撃的な出来事で、大きな喜び
でもありました。

健康を取り戻せたという喜びも束の間、私の父に生死にかかわる大きな病にかかります。

すい臓がんです。

すぐに入院し手術をしました。

がんは胃、腎臓、脾臓とあらゆる臓器に転移していました。

手術後、内臓から取り除いた様々な臓器をみた私たち家族は茫然としてしまいました。

そして、医師からは余命宣言。

しかし、私を含め家族はあきらめてはいませんでした。

人の身体には、手術をして体内環境が変わっても生理機能を一定に保つための恒常性(ホメオスタシス)があることを信じていたからです。

私は自分の腰を良くしてくれた先生に相談しました。

父の自然治癒力を高めてあげたいので筋膜リリース整体の施術を教えてくださいと。

状況を説明したところ、特別に許可を頂き先生の所に通い筋膜リリースの整体を教えていただきました。

そして、父が退院すると毎日、先生から教わった筋膜リリースの施術を父に施しました。

施術は、毎回心地良く受けてくれました。

そして、あっという間に余命宣言された期限は過ぎました。

今では病気が発症してから5年以上ゆうに過ぎています。

父は、畑作業を長時間できるほど元気で過ごしています。

福祉施設の仕事では、ご高齢の方で日常動作や階段歩行時の膝、腰等の痛みを訴える方が多々見受けられます。

日常生活を健やかに、人生を豊かに送るためには健康であることが必須であることを日々実感しています。

症状を楽にしたいと思いつつもどこに行って良いのかわからない方も多いのではないでしょうか?

私や家族健康に導いてくれた筋膜リリースの施術に驚きと喜びを得たことがきっかけとなり私は整体師
のも道へ進むきっかけとなりました。

私が整体で真の健康を得て感動したように今度は人のお役に立てる側になろうと志を持ち日々精進しております。

さわやか健康整体院 院長岡田

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